すっかりインドなブログになってて申し訳ないです。吉咲こと天竺奇譚のだーきにです。

さて、ご報告です。インドに行ってきました

インド。ああ、インド。夢にまで見たインド。
はじめてインドに行ったのは学生時代。まだ10代のうら若き乙女()でした。
その後何度もインドに行きましたが、社会人になってからはインドと全く関係ない世界で生きることになり
意図的にインドを絶ち、もう二度とインドに行くことはないだろうと諦めていました。

でも、不思議なもので、運命というのは自分が望む方向に向かうものなのでしょう。
今回、いろいろな偶然が重なってインド行きの夢が叶いました。

ご存知の方も多いと思いますが、例の映画ファンの方々の中で話題になっていた
例のツアーに参加させていただくことができたのでした。
ツアーでインドに行くの初めてだったので、すごく…面白かったです。
ホテルが全部手配されていて、バス移動できるこの快適さに慣れたら一人旅ができなくなる(笑)

まあ、とはいえ初めてのインドから幾年か。インドは随分変わってるだろうなあ。と。
ドキドキしながら飛行機にのりました。
実際、空港も町並みもオッシャレになっててうわあすごいなあ!とカルチャーショックうけつつ
何年経っても相変わらずのあの空気感とほこりっぽさとマサラの匂いに
ああ、インドに戻ってきたな、ってかんじでした。

たった数日の滞在で、日本に帰国してからは普段どおりの生活なのですけど、
心をインドに置き去りにしてきた気分です。

学生時代はバックパック一つで、飛行機のオープンチケット取って何度もインドをフラフラと。
論文資料集めにと、外国人観光客が少ない南インドの寺院を探索。
女一人で危ない目にも何度もあっていて、今思うと、よくあんなことできたなあ、と。
でもあのときの経験が、現在の私を作っているんですよね。

どういう旅行だったかは、別途ツアー企画をされた方々が後日アップされると思うので
私はざっくりと感想を上げようと思います。
ハイデラバードの歴史とかそういうかんじで。
例の王国とかそっち系のネタはほとんどないのでご了承ください…



1.例の王国について

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はい。例の王国の都の中心部にあるピラミッド型の王座です。
東インドのコナーラクにあるスーリヤ神殿と同じで、建物を馬車に見立てて馬がひいてます。
馬はスーリヤ神の乗り物なのでスーリヤのマーク。王国のマークに馬がいるのは
まあそういうことです。
他にもいろいろあるのですが、長くなるので割愛をば。また別の機会にでも。


2.泊まったホテルについて

ラモジフィルムシティのホテルもハイデラバード市内のホテルもどちらも格が高く。
さすが五つ星でございました。
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こちらのホテルは玄関には噴水もありまして、全てが最高級。
おもてなしにはトゥルシーの枝でできた首飾りを貰い、額にはティッカをつけてもらいました。
ディヤー(油灯)の炎が揺らめく下には、花びらで吉祥模様が描かれています。
赤はバラ。オレンジはマリーゴールドかな??(南インドではよくオレンジ色にマリーゴールド使う)
これは南インドでは「コーラム」と呼ばれる紋様で、女性が幸せを願って玄関に描くものだそうです。

ちなみにトゥルシーはホーリーバジルとも言われる聖なる植物でして
薬草としてアーユルヴェーダにも取り入れられているし、お茶としても飲むし、飾るし、
幸せをもたらしてくれるそうです。



3.インドの街、ハイデラバード。

相変わらずのインドでした。オートリクシャの群れの合間を縫うように道を渡りつつ
人も車もみんな洪水のように進むパワフルなところは何年経っても変わらず。
あとマサラ臭というか、インド独特の「におい」があるんですが、それも相変わらず。

しかしこのハイデラバードという街は、とても綺麗でした。
ムスリム(イスラム教徒)が多いことも関係しているのかな、とも思ったのですが。
牛が全くといっていいほど市内にいないんですよ。
アンジャリさんからは、政府が牛の数減らすためにいろいろ施策をしているところもあるって聞きましたが
昔はバラナシとか街中で牛糞を踏まないように歩くのが精一杯だったのを思い出し。

ハイデラバードは夜の市場の喧騒の後のゴミとかも朝にはきれいに掃き清められていましたし、
すっきりしてるなあ、という印象だったです。

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市場では、オシャレしたご家族がたくさん歩いていました。
髪を1つにまとめて白い花(ジャスミン)を飾るのは南インドの女性っぽくて素敵。
あと、インドらしいところ。写真右上のモジャモジャした何かをご覧ください。
これ、配線ですよね。最高です。こういうところ大好きです。

オシャレといえば!
バングル通りというバングル(腕輪)ばっかり売ってる商店街とか!
サリーやパンジャビドレスばかり売ってる商店街とか!布屋さんとか!香水屋さんとか!
夢のような女性向け用品店が山ほどたくさんありまして。
夜の市場を歩いたのですが、ほんとうに素敵でした。
ムスリムの女性が多く黒装束に黒い布で顔を覆っている(ニカーブ)方をよくみかけましたが
黒い布の下は華やかな装いをされているそうで、皆さん熱心に服を見ていました。



4.ハイデラバードの歴史とか。

専攻がヒンドゥー教なのでムスリムの文化や歴史はあまり詳しいほうじゃないのですが
カッタッパとアスラム・カーン(例の武器商人)とのやりとりが胸アツだったあのシーンの
撮影が行われたというゴールコンダ城
にも訪れるということで
事前に歴史の本を読みなおして、ざっくりと歴史を頭に入れてみようかなと。

するとですね。マヒシュマティ王国以上にこのハイデラバードの街に興味が湧いてきまして、
これは取材旅行!ええ、取材旅行!と鼻息も荒く、がぜんやる気が出てまいりました。

というわけで。ざっくり。ざっくりと歴史をまとめてみました。


インドの中では、ハイデラバード(ハイダラーバードとも言う)は比較的新しい街です。
歴史に登場するようになって大体500年くらいの新しい街です。

500年の歴史が新しい?……まあ……そこはインドなので。
古いところだと北インドのほう。マハーバーラタにも登場する、紀元前10世紀頃からあったという
つまり3000年前にあったらしい伝説のクルクシェートラとかそういうのとか(現在の街とは位置が違うらしいですが)
ガンジス川沿いの都だと2300年前には既にパータリプトラとかは世界都市だし
という…何が新しくて何が古いかの基準がコレなので…あまり参考になりませんが。

元々南インドのヒンドゥー王朝から分離したハイデラバードの地方は、いろいろあってその後ムスリムが支配します。
で、そこから独立した16世紀のゴールコンダ王国は、内陸部にあるものの、ダイヤモンドが採れるし東西インドの交易の中心になるしで、富がじゃんじゃん集まる豊かな国になりました。
で、溢れる富を注ぎこんでゴールコンダ城を建てたんですね。

ハイデラバードという地名は、当時の王様が惚れたヒンドゥー教徒の女性の名前をムスリムのものに改名させて、都の名前にしたらしいです。なかなか粋な王様。
当時の歴代の王様たちも建築や芸術が大好きで、モスクとかもたくさん建てて、インド有数の美しさを誇る国だったとか。

どんなかんじの建築だったか。
お墓なのでお城とは違いますが、ざっくりムガル帝国の時代と重なるので、世界遺産のタージ・マハルをイメージしてくれたらいいと思います。

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ゴールコンダ城は大理石じゃないですけど、壁は白塗りで宝石埋め込んでるものも残っているので、たぶんあんなかんじのキラキラさだったとおもいます。

でも、実際行ってみたら…現在の様子はこちら↓

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建物の一部で残された部分。白い壁が悲しいですね…
さぞ美しい城だったことでしょう。
でも、どうしてこんな廃墟になってしまったのか。

ゴールコンダの富に目をつけたのが、17世紀のムガル帝国、アウラングゼーブ帝。
タージ・マハルを建築した父親のシャー・ジャハンを幽閉し自ら帝王になった人です。
彼はインド全土の征服を夢見て、南のゴールコンダ王国に向かいます。
で、何度も兵を送りますが堅固な要塞でもあったゴールコンダ城を落とすことはできず。
結局内通者の手で内側から滅ぼされ、美しい城は徹底的に壊されました。嫉妬なのか何なのか…

それから何百年も、この城は山の上に放置され続けたのでした。
ガイドさんの話だと、階段も全部壊されていたので、あたらしく作り直したとか。

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山頂からの眺め。下に見える壁に囲まれた遺跡は居住区だったそうです。


5.ゴールコンダの遺産とハイデラバード藩王国(ニザーム王国)

さてその後、時代は過ぎ。

ゴールコンダ城は放置されますが、ふもとの町はムガル帝国配下になってもそれなりに栄えます。
でも、ムガル帝国はアウラングゼーブ帝の活躍の後、すぐに弱体化します。
で、18世紀。豊かなハイデラバード地方を賜った貴族、カマルッディーン・ハーンが謀反を起こし、「ニザーム王国」として勝手に独立してしまうんです。

もちろんムガル帝国は戦いますが、彼は強かったので諦めて、ニザーム王国を認めるんですね…
でも、デカン高原とかハイデラバードのあたりはムガル帝国時代のヒンドゥー教王国であったマラーター王国にも権利が認められていたので、ニザーム王国はマラーター王国と戦うことになるのです。

マラーター王国!
インド映画がお好きな方はピンときたかもですが。
近年インドで大ヒットした歴史映画『Bajirao Mastani』の主人公、バージー・ラーオーさんは
マラーター王国の宰相でした。ニザーム王国とも戦っているのですよ。

まあ、細かいことはいいんで、この動画だけでも見てください。

18世紀のインド。こういう時代です。


こっちもどうぞ。
  
バージー・ラーオーさんの「戦いに勝った嬉しい!嬉しい!ダンス!」最高ですね。
(※この動画を貼りたかったから解説したわけじゃないですがw)

映画自体は、ヒンドゥー教徒のバージー・ラーオーさんのところに嫁いできたムスリムの姫との悲恋なので
この動画みたいに楽しいお話じゃなくて、うわーマジかー!ヤメテー!と悲しくなりますが
それでもこの美しさは一見の価値ありな映画なので、もし手に入れば是非観て下さい。

ああ、そういえば実はこのお兄さんの俳優さん。ランヴィール・シンさんというのですが、
今のインドで一番人気がある俳優さんでして。
どうやらはじめに泊まったラモジフィルムシティのホテルに宿泊していたそうで
見かけた方もいたとか。羨ましい!



脱線しました。申し訳ない。

で。いろいろあって。

ニザーム王国、もうインドに進出していたヨーロッパの諸国といろいろあったんですが
英国と同盟を結んだりいろいろあって、20世紀もインド政府ができた後も独立を保っていました。
実はインド最大のムスリム王朝として一番長く生き残っていたのです。
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写真は最近まで王宮として使われていたチョウマハラ宮殿です。
大理石のお城で、シャンデリアはヨーロッパから取り寄せたとか。
むっちゃゴージャスでハァァァとため息がでるほど。

ゴールコンダの富をそのまま引き継いだこの国は英国との関係も良好だったとか。(でも英国に払ってた税は高かったらしいですが)
インドの王様とか、マハラジャとか。ダイヤモンド鉱山とか。
ヨーロッパ諸国が持つ近代インドのイメージは……もしかしたらあの『小公女』のモデルになったのはニザーム王国だったかもしれない。と思ったのでした。

あ、でも近代の歴史は全く専門じゃないので、なんか間違ったことかいてたらすみません。
ご興味もたれましたら、是非調べてみてください。



6.旅を終えて

たった数日の滞在だったので、インドに慣れる前にあっというまに帰国してしまい
まだ心が、魂がインドに残ったままなのです。
なんとか心を落ち着かせようと、このブログを書いています。

ツアー内容は盛りだくさんだったのですが、その分かなりの強行軍というか、ずっと寝不足で。
たぶん興奮してたので乗り切ったんだと思うんですが、戻ってきたら延々一日寝続けました…
うう、衰える体力…でも、それでもまた、インドに行きたい。


インドは、好き嫌いが分かれる国だといわれます。
あるときはガチガチに融通きかないのに、大切なところで大雑把だったりして
日本の整理整頓された状態を求めると、気が狂いそうになる方は多いと思います。
初インドでもう二度とインドは行きたくないという人もいます。

列には並ばない。観光地での買い物ではぼったくりはあたりまえ。
外国人(カースト外の人たち)には何をしてもいいという考え方もあるようでして。
トラブルがあっても、自己主張しなければ何もないことにされてしまうという…
まあなんというか…。どうしても受け入れられないという人の話を聞くと
さもありなん…と頷くことも。

けど、その全てが「インドだから」で済んでしまうのがインドというか。

あの生命力に負けぬように、前のめりに自己主張して自分の力で勝ち取っていく。
あるいはあの世界をあるがまま受け入れて、「それもまたよし」としてしまう。
そういう気力や考え方の転換が必要な国なんだろうなあと思うわけです。

インドというと、それぞれ持っているイメージがあるとは思います。
カレーや仏教や、ガンジス川の沐浴シーンや神秘の国とかガンジーとか
アーユルヴェーダやカーマスートラ、インド映画やマヒシュマティとか経済大国とか。
かっこいい美男美女の俳優さんたちの国というイメージもあるかもしれません。
あるいはカースト制や少女婚、女性蔑視に暴行事件や暴動、貧富の差やスラムやトイレなどの問題。
実際インドに行って、現実に触れた結果、幻滅して帰ってくる人もいます。

でも、それぞれを一つだけの面で見ることはできないのかもなあ。と。

どの国も問題を抱えているし、いいところも悪いところもある。
それこそ何千年もの歴史や民族や宗教を一まとめに語ることはできないし
人は自分の価値観の上で感じた部分しかわからないので。
あまり理想化せず、異国の文化に触れるときには、極力柔軟に考えるようにしたほうがいいかもしれないです。

そういえば。インドの男性はシャツをズボンから出して着てる人が圧倒的に多いんです。
もちろん、しっかりズボンに入れて着こなしている人はいますけども。
はじめてインドに行ったとき、「インドの男性ってだらしないなあ、シャツ出しっぱなし」って思ったんです。
でもこれって違ってて、インドの男性の正装の「クルタ」は裾をズボンに入れないんですね。
だからみんなシャツを出していても特に問題ないということを知りまして。
ご参考に。↓インドの通販サイトMyntraのクルタとか
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自分の考え方とか常識とか、そういうものは見方によっては全く逆で的外れなこともある。と。
何事も柔軟に考えないといけないんだな、というのがよくわかったのでした。


もしかしたら。

自分の価値観なんてちっぽけなもので。実は取るに足りないものかもしれません。

自分がすごくこだわっていること、実はこだわる必要なんてないのかも。



など。
バスに乗り、混雑した街並みを眺めながら、ぼんやりと思いをはせたのでした。


ちょっと真面目に語ってしまいましたが。




さいごに。

このツアーを企画してくれたあっちゃんさん、旅行会社の方、同行してくれたアンジャリさん
そしてツアーに参加された皆様。とても楽しく貴重な時間をありがとうございました。
通りすがりのインドオタクを相手にしていただき、本当にありがとうございました。
またどこかでお会いできますように。

また、個人的な内容をここまでお読みいただきありがとうございました。
もう少し頭が整理できたら、今回の旅で得たものをまとめなおしたいと思います。

ではでは。今後とも宜しくお願いいたします。